2025年11月28日
世界から注目されるニュージーランドの教育とは
こんにちは、富山県議会議員の瀬川侑希です。
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富山県の高校再編の参考にするため、先日ニュージーランドの教育を視察し、SNSで書くには長すぎるため、ここでまとめたいと思います。
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なぜニュージーランドの教育を視察に行ったのか
これにはいくつか理由があります。
まず、富山県では現在「高校再編」の議論が進んでいます。15年後に生徒が今より3割少なくなる。そのため、高校の数を少なくしようとしていますが、単純に数を減らすのではなく、教育の中身をよりよいものに変えていかなければいけないと思っています。
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じゃあ、「よりよい教育」とはどのようなものなのか?
この数年間、国内の先進事例となる高校をいくつも見てきましたが、その国内先進事例がお手本としている教育でもある、世界の先進事例を一度見てみる必要があるのでは、と考えました。
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そして、世界の中でもニュージーランドを選んだ理由は、
まずは、英エコノミスト誌が発表する「世界未来教育指数ランキング」の第1回となる2017年に1位と評されたこと、が候補となるきっかけでした。
その上位国を中心に各国の教育を色々調べる中で、ニュージーランドの教育は、
・生徒の自己表現を重視するということ
が最大の特徴と言われます。input重視のこれまでの日本の教育ではダメだと、日本では「探究学習」が行われるようになっています。探究学習は、output重視、グループ学習、プロジェクトベースがであり、これのお手本のような存在です。日本の変わっていこうとする教育の目標となる存在をぜひ自分の目で見たいと思いました。
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また、
・学年で同じ授業を受けるのではなく、ある教科レベルに様々な学年の生徒が混ざる
・英語スキル向上のために、日本からの留学生が多い
という特徴もあるようで、これらにも大変興味を惹かれました。
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そして、これからの富山県教育を考える上で参考にしたこちらの本でも先進事例として紹介されていたことも後押しとなりました。

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「生徒の自己表現を重視する」ニュージーランドの教育とは
県議有志でチームを作り、私たちは小~高の一貫校2校、高校1校、小学校1校を訪問しました。
(以下は、ニュージーランド教育の全体像ではないかもしれませんが、現地で私がヒアリングしたことを書きます。)
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下の2枚は別の学校ですが、どの学校でもおおむねこのようなスタイルで授業が行われていました(このように教室の仕切りがない学校が多いと聞きました)。


まず、日本の感覚ではなかなか理解しにくいのですが、
教科書がありません。今日やる単元もありません。
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最も驚いたのは、
「今日は○○するよ~」ではなく、
「今日は何するの?」で全ての授業が進んでいくのです。
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クラス一斉授業であったり、同じことをやるのではなく、生徒が思い思いの学習をします。1人でやる生徒。グループでやる生徒。
そして、先生が何かを指示することはほとんどありません。分からない部分があれば、生徒が先生に質問する。先生はそれをサポートするだけです。
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ニュージーランドの教育とは、「not input」だよ。「learn」だよ。と、現地ではことあるごとに言われました。
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ここでは、自分の内なる動機が学習の出発点だったのです。
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それができる背景は何か?
やっていることの違う生徒中心の学習をサポートするのは、先生に非常に高いスキルが求められます。
それを成り立たせるために、先生の給与はベースが高い。
さらに、各学校は独立採算な上、先生のスカウトも日常的に行われているので、よい学校では高い給与が支払われ、どんどん優秀な先生が集まる仕組みになっています。
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ですから、全国で一定の教育の質が保たれている、日本とは状況が異なります。ここはメリットでもあり、デメリットでもあると感じました。
しかし、現地では「平等と公平は違う」とも言われました。一律の教育水準ではないため平等ではないが、生徒の質問には等しく答えるという意味で公平だと。これには非常に考えさせられました。
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また、日本のように受験や就活という概念がなく、例えば2年生までに九九を覚えましょう、というような基準もない。職を求めたければ自分でスキルを身につける必要がある。個人に委ねられた国であることも、この学習スタイルが成り立つ理由であると思いました。
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ニュージーランドの教育は日本の理想形か?
日本ではinput教育だけではダメだと、「探究学習」が重視され、生徒の主体的、対話的、深い学びが年々重視されています。
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それを全ての授業で実践するニュージーランド教育は、日本の理想形なのでしょうか?
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これは非常に考えさせられる問題です。
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というのも、質問する生徒、目標のある生徒にはサポートがあり、自分の知識を深め、広げられる。一方で、質問しない、できない生徒もやっぱり存在します(日本の感覚と違い、ベースがどんどん質問する文化のようですが)。目標のない生徒には特にサポートがないとのこと。
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この学校の仕組みだけでなく、貧困状況など様々な要因があるのでしょうが、10代の自殺率は世界の中でも非常に高く、日本も低くないですが、その日本の2倍以上となっています。手放しでニュージーランドの教育が素晴らしいとは言えなさそうです。
(時の政権の意向が教育政策にも色濃く影響し、現在ニュージーランドではinput教育の割合を増やす動きがあるようです。)
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しかし、日本の教育、富山県の教育のこれからを考える上で、学ぶべき点がたくさんあったことも事実です。
細かいことですが、ニュージーランドでは消しゴムがありませんでした。間違えを「消す」のではなく、その軌跡を残しながら、学習するそうです。
また、親>学校ではなく、お互いにリスペクトがあり対等な関係である他、
たまたま遠足のようなシーンを見たのですが、

先生だけでなく、多くの親も一緒に引率していました。自分の子どもだけでなく、他の子どもにも関わりながら。これが通常の姿とのこと。
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日本のinput教育は詰め込み教育で、ここから脱却しなければいけないと言われます。自分で課題を見つけ、解決していく力。自分の考えをまとめ、表現していく力がもっと必要だと。
じゃあ、表現する力があればそれでいいのかと言われると、どうもそうではなさそうです。
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私はニュージーランドに行く前までは、
日本の教育は古臭い。知識を頭に入れるのは、もはやgoogleで簡単にできるので、いかにそれを使って問題に対処していくかが大事であり、探究の時間や探究的な時間をもっと増やすべきではないかと思っておりました。ニュージーランドの教育が理想であり、日本の教育で目指している生きる力そのもの。きっと生徒のウェルビーイングも高いのではないか。
と思ってきました。
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しかし、そう単純ではないようです。
情報(googleで調べられるもの)と知識は違うのではないか?情報を脳内に積み重ねることで、知識になる。知識を積み重ねることで見識になるかもしれない。知識と見識をいつでも取り出せること、取り出して答えの見つかりにくい課題に対処できることが大切であり、それにはinputとoutputどちらも必要なのではないか。
ニュージーランドの教育にも功罪がある。日本の教育にもある(くしくも、ニュージーランドでは、「小学校~それは小さな社会~」という2024年に公開された、日本の小学校を取り上げた映画が素晴らしかったと何度か言われました)。
どちらか一方ではなく、そのベストミックスに答えがありあそうです。
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(ニュージーランド訪問にあたり)
2011年2月に、第2の都市クライストチャーチを中心に大きな被害のあったカンタベリー地震がありました。翌月の東日本大震災で、日本ではほとんど報道されなくなりましたが、犠牲者185人のうち、日本人は28人。語学研修中だった富山外国語専門学校の生徒12人を含む、富山県関係者13人も含まれています。
もうすぐ、この地震から15年を迎えます。今回の訪問にあたり、犠牲者の名前が刻まれている記念碑に訪問団で献花をしてきました。

また、仮設大聖堂も訪れ、追悼彫刻(対になっており、もう1対は富山外国語専門学校に設置されている)に祈りを捧げました。

この仮設大聖堂は日本人建築家である坂茂さんが設計。復興のシンボルとして一時的に建てられた仮設大聖堂であり、被災地の現地で調達しやすく、安価で軽量、かつ地震に強いという特徴を持つ「紙管」が柱や主祭壇、十字架にいたるまで主要な材料として使われていました。























































